「がんになっても、高額療養費制度があるから、お金の心配はそれほど必要ない」
そう考えている方は多いのではないでしょうか。確かに、高額療養費制度は、医療費の自己負担を抑えてくれる大切な制度です。しかし、この制度で上限が設けられるのは、原則として公的医療保険が適用される医療費です。差額ベッド代、交通費、先進医療の技術料、治療中の収入減少まで、すべてを守ってくれるわけではありません。今回は、2026年8月に見直された高額療養費制度と、がんになったときに家計から出ていく「5つのお金」について、CFP®・ファイナンシャルプランナーの視点から解説します。
「家を売ってでも治してやりたい」――私が、がんとお金を深く学ぶようになった理由
もう10年以上前のことです。ご相談者であるご主人から、がんに罹患された奥様について、このような言葉を聞きました。「家を売ってでも、絶対に治してやりたい」奥様を何としても守りたいという強い決意と、深い愛情が伝わってきました。
幸い、ご自宅を売却することなく治療を始めることができ、奥様は無事に寛解までこぎつけられました。現在は、ご夫婦で平穏な日々を過ごされています。本当によかったと思う一方、当時の私は、FPとして改めて考えさせられました。
「がんになったら、実際にいくら必要になるのだろう」「高額療養費制度があれば、本当に安心なのだろうか」「老後資金を守りながら、納得できる治療を受けるには、いくら準備しておけばよいのだろう」病気そのものへの不安に加えて、「これから、いくらお金がかかるのか分からない」という不安は、ご本人だけでなく、ご家族にも大きくのしかかります。
私は、お金のリスクを見つけ、備え方をアドバイスするファイナンシャルプランナーです。だからこそ、公的医療保険、がん治療、民間保険、治療中の生活費について、常に知識を更新し続けなければならない。このご夫婦との出会いは、私がそう心に決めた原点の一つです。※実際のご相談事例を、個人が特定されないよう一部表現を調整して紹介しています。
2026年8月、高額療養費制度はどう変わった?
高額療養費制度とは、1か月の保険診療の自己負担額が、年齢や所得に応じた上限を超えた場合、その超過分が支給される制度です。制度は、2026年8月と2027年8月の2段階で見直されます。2026年8月からは、多くの所得区分で月ごとの自己負担上限が引き上げられた一方、長期治療に配慮した「年間上限」が新設されました。70歳未満、年収約370万~770万円の人を例に比較してみましょう。
| 比較項目 | 2026年7月まで | 2026年8月から |
|---|---|---|
| 1か月の上限額 | 80,100円+(医療費-267,000円)×1% | 85,800円+(医療費-286,000円)×1% |
| 総医療費100万円の場合 | 約87,430円 | 約92,940円 |
| 1か月の負担差 | ― | 約5,510円増加 |
| 多数回該当※ | 44,400円 | 44,400円(据え置き) |
| 年間上限 | 今回のような上限はなし | 53万円(新設) |
※直近12か月で高額療養費に3回該当した場合、4回目以降の上限が軽減される仕組みです。
月ごとの上限額は上がりましたが、長期治療には年間上限が設けられました。そのため、「全員が負担増」とも「全員が負担軽減」ともいえません。治療期間や毎月の医療費によって、影響は異なります。
高額療養費だけでは守られない「5つのお金」
高額療養費制度は、大きくて頼りになる傘です。しかし、がんによって発生するお金の中には、その傘からはみ出してしまうものがあります。

1.上限までの医療費
高額療養費制度があっても、医療費が無料になるわけではありません。所得に応じて決められた上限までは自己負担です。抗がん剤などの通院治療が長く続けば、毎月の負担が家計に積み重なります。
2.差額ベッド代・入院中の食事代
差額ベッド代や入院中の食事代は、原則として高額療養費の対象外です。差額ベッド代については、患者本人が希望した場合など、一定の条件があります。入院時には、部屋の料金と同意書の内容を確認しましょう。
3.交通費・宿泊費・療養生活の費用
専門病院までの交通費、遠方で治療を受ける場合の宿泊費、医療用ウィッグ、診断書、家事代行なども原則として対象外です。一つひとつは小さく見えても、治療が長期化すると大きな負担になります。
4.先進医療・自由診療の費用
先進医療の技術料は全額自己負担です。ただし、「先進医療=最も新しく、最も優れた治療」という意味ではありません。先進医療とは、将来の保険適用に向けて、有効性や安全性などを評価している段階の医療技術です。継続的に評価され、保険適用になるものもあれば、先進医療から外れるものもあります。
また、先進医療特約があれば、高額ながん治療、自由診療、未承認薬などがすべて保障されるわけではありません。「何が保障され、何が保障されないのか」を確認することが大切です。
5.治療中の収入減少と生活費
がんのお金で見落とされやすいのが、収入の減少です。会社員は一定の条件を満たせば傷病手当金を受け取れる可能性がありますが、給料と同額ではありません。自営業者などが加入する国民健康保険には、原則として会社員と同じ傷病手当金の仕組みがありません。収入が減っても、住宅ローン、家賃、食費、教育費、保険料などの生活費は続きます。がんで家計が苦しくなるのは、治療費が高いからだけではありません。「入ってくるお金が減る一方で、治療費と生活費が同時に出ていくこと」が大きな問題なのです。
がん遺伝子パネル検査は56万円。でも全額自己負担とは限らない
がん遺伝子パネル検査とは、がん細胞に起きている多数の遺伝子変化を調べ、治療薬を選ぶ手掛かりを探す検査です。保険診療として行われる場合、検査費用の総額は56万円です。ただし、患者が56万円全額を支払うという意味ではありません。条件を満たして保険診療として受ける場合は、原則として1~3割負担となり、高額療養費制度も利用できます。
一方、保険診療で受けるには、標準治療がない、または標準治療の終了が見込まれるなどの条件があります。標準治療を終えた(すべて手を尽くしたのち)次の手がないときにがん遺伝子検査が1割~3割の保険適用となるイメージです。条件を満たさず自費診療で受ける場合の費用は、検査の種類や医療機関によって異なります。
検査で薬が見つかっても、治療できるとは限らない
がん遺伝子パネル検査で重要なのは、「検査を受けられるか」だけではありません。検査後に、実際の治療へ進めるかどうかです。国立がん研究センターのC-CATが公表している、2019年6月1日から2022年6月30日までの30,822例の集計では、新たな治療選択肢が提示されたのは44.5%でした。一方、提示された治療薬が比較的早期に投与されたのは、全体の9.4%です。
| 集計内容 | 症例数 | 全体に占める割合 |
|---|---|---|
| 集計対象 | 30,822例 | 100% |
| 新たな治療選択肢が提示された | 13,713例 | 44.5% |
| 提示された治療薬が比較的早期に投与された | 2,888例 | 9.4% |
この9.4%は、「治療選択肢を提示された人のうち9.4%」ではなく、集計対象者全体に占める割合です。また、おおむね3か月以内の治療状況が主に反映されているため、その後に治療を受けた人まで網羅した最終的な治療到達率ではありません。遺伝子に合う薬が見つかっても、国内未承認、治験の参加条件、医療機関への距離、患者の体調などの理由で、実際の治療に至らないことがあります。がん遺伝子パネル検査は、治療薬を探す「宝の地図」のようなものです。しかし、宝の場所が分かっても、そこまでの道が開かれているとは限りません。検査費用だけでなく、その先の治療費や生活費まで考える必要があります。
老後資金をすべて「治療費」にしないために
50代・60代以降では、治療費を用意するために、投資信託や株式を慌てて売却することにも注意が必要です。相場が下落しているときに売れば、資産が回復するのを待てず、老後資金を大きく減らす可能性があります。また、夫婦のどちらかががんになっても、配偶者の老後生活費や、将来の介護費は残さなければなりません。治療に使う「守るお金」と、将来のために運用を続ける「育てるお金」を分けておくことが大切です。
高額療養費か、がん保険か――二者択一ではない
「高額療養費があるから、がん保険はいらない」とも、「自由診療は高額だから、誰もが大きながん保険に入るべき」とも言い切れません。大切なのは、まず公的保障や勤務先の制度を確認し、不足する部分を預貯金や民間保険で補うことです。がんになったとき、本当に必要なのは治療費にも生活費にも、必要なタイミングで自由に使えるお金です。それを、
・すぐに引き出せる預貯金で準備するのか
・公的保障や勤務先の制度を利用するのか
・民間保険の一時金などで補うのか は、一人ひとり異なります。
まとめ|治療費だけでなく、その後の暮らしまで考える
高額療養費制度は、がん治療を支える大切な制度です。しかし、制度の対象になるのは、原則として保険診療の自己負担部分です。差額ベッド代、交通費、先進医療、自由診療、収入減少まで、すべてを守ってくれるわけではありません。
がんへの備えで大切なのは、「治療にいくらかかるか」だけを見ることではありません。公的保障、勤務先の制度、預貯金、民間保険、毎月の生活費を一枚の地図にして、「がんになったとき、どのお金で、どこまで対応するのか」「治療後の暮らしのために、いくら残しておくのか」を考えておくことです。
「家を売ってでも治してやりたい」かつてご主人から伺ったこの言葉を、私は今でも忘れられません。病気になったとき、ご本人やご家族が、お金の不安だけで治療の選択肢を狭めることがないように。同時に、治療後の生活に必要な大切な資産まで失うことがないように。それが、がんのお金を事前に考えておく本当の意味だと思います。
※本記事は2026年8月時点の制度に基づいています。年齢、所得、加入する健康保険、病状、治療段階などにより取り扱いが異なります。実際の利用については、加入する健康保険、医療機関、がん相談支援センターなどにご確認ください。
【参考資料】
厚生労働省「医療保険制度改正法が成立しました」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/newpage_00014.html
厚生労働省「高額療養費制度の見直しについて」
https://www.mhlw.go.jp/content/001726232.pdf
厚生労働省「先進医療の概要について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/sensiniryo/index.html
国立がん研究センター「医療費の負担を軽くする公的制度」
https://ganjoho.jp/public/institution/backup/public_insurance.html
国立がん研究センターC-CAT「がんゲノム医療の効果」
https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/knowledge/cancer_genomic_medicine/efficacy.html
国立がん研究センターC-CAT「登録状況」
https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/registration_status/
国立がん研究センターC-CAT「都道府県別集計に関するQ&A」
https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/common/pdf/C-CAT_pref-QA.pdf



